『人狼‐ヴェアヴォルフ‐』2


「あら、アルトゥール様」

「頼まれたもの、持って来ましたよ」

 そう言ってアルトゥールが掲げて見せたのは、五匹の魚だった。

「まぁ、ありがとうございます、アルトゥール様!」

「アル」

 ダニエラに魚を渡したアルトゥールはヴォルフに呼ばれ顔を上げ、首をかしげた。
 自分を見てくる瞳は、人狼にはありえない青。
 まるで、空のような青に思わず目を細めた。
 この瞳のせいで、酷い扱いを受けているのだと、ダニエラからは何度も聞いていた。
 集落にいる限り、冷たい目で見られる。
 名前を呼んでから口を開かないヴォルフにアルトゥールは眉根を寄せた。

「何です?お酒は調達してきませんよ?」

「ちげーよ」

 ふと、ヴォルフは目を細める。

「この集落にいるのも、面倒になってきたな……」

「どこかへご旅行へ?」

 首をかしげるアルトゥールにヴォルフは笑う。

「そう、だな。少し、森を出るか……そろそろ冬。人間共も森の中には入らないだろう」

「荷造りを頼んだ」

「御意に」

 一礼したヘルマンは窓から外へと出て行く。

「出て、行かれるんですか?」

 表情を曇らせたアルトゥールにヴォルフは口角を上げた。

「どうする?」

「え……」

 目を瞬かせるアルにヴォルフは酷薄な笑みを浮かべる。

『お前は、どうしたい?』

『一人で生きられるくらい、強い人狼になりたいです』

 幼い子供が、目に涙を浮かべながら言ってきたのを思い出す。
 アルトゥールと出会ってから、時が経つのは早く。子供だった彼も、すっかり青年へと成長を遂げている。

「このまま、この集落の中で死んでいくのも、良いかもしれないな。だが、外を知ろうとするのも、良いかもしれない」

 この森の人狼は、外を知ろうとしない。確かに、この森は魔力を生み出す働きが活発なため、居心地が良いことは分かる。
 けれど、何も知らず、順応せず、ただ安心と安全の中に酔って死んでいくのは無様だ。
 だから、人狼という種族は死に絶えていくのかもしれない。知能無き、ただの獣へと堕ちていくのかもしれない。

「………付いていっても、良いんですか?」

「お前の好きにしろ。俺の迷惑にならないなら、別にかまわない」

 そう言ったヴォルフにアルトゥールは表情を明るくする。

「連れて行ってください!」

 その言葉にヴォルフは細く笑んだ。
 まるで、家族のように慕うその青年の事をヴォルフは嫌いじゃない。今まで、群れで暮らした事の無いヴォルフにとって、家族というものはむず痒い感じがする。

(だが、嫌いじゃない………)

 これから、死ぬまでの長い年月をただ年老いるだけでなく過ごす事が出来ると思うと、長命に生まれたことも悪くは無いと思う。

(刺激がないのは、生きていてつまらない)

 ぼんやりとそんな事を考えながら、ヴォルフは窓の外に目を向けた。

 いつか、もっと自分を楽しませるような出来事があればいい。
 それがなければ、生きていられないと渇望するようなモノと出会いたい。
 家族のような、存在じゃない。
 もっと、己の心を焦がすような、そんな存在と出会いたい。
 そう、望まずにはいられなかった。

『人狼‐ヴェアヴォルフ‐』 1

 ただ、気まぐれにその森を訪れただけだった。
 自分と同じ種族。
 昔よりも激減しつつあるといわれる一族が、異様なまでに執着し続ける地。
 興味を惹かれ、海を越え、その地に降り立った。

『できそこない!』

『できそこない!』

 罵る声が聞こえてくる。
 ゆっくりと顔をめぐらせば、数人の子供が何かを囲んでいる。近づいてみると、それは囲んでいる子供よりも一回り小さな子供だ。
 人狼には珍しい金糸の髪をしている。

 ふと、子供の一人が視線を感じたのか自分を見た。それにつられる様に、金糸の髪の子も顔を上げる。
 ほう、と息が漏れた。
 金糸の髪の子の瞳は、美しい青だった。

 ゆっくりと目を開けたヴォルフは、軽い倦怠感と頭痛を覚えた。
 顔をしかめると、視界の端に水が入った木の器と一羽の大鴉の姿が目に入る。

「ヴォルフ様、お顔色がよろしくありませんよ?」

 小首を傾げて見せるのは、処女雪を思わせるほど真っ白な大鴉だった。
 心配そうに覗き込んでくるその頭を指先で優しくなでると、気持ち良さそうに目を細める。

「ダニエラが気にするほどじゃない」

 白い大鴉―ダニエラは足元に置かれた木の器をヴォルフに勧めるように嘴でつついた。
 ヴォルフは木の器を片手で持つと口をつけて水を一気に飲み干した。顎から喉へとこぼれた水を拭う気にもなれず、クッションに身を預ける。

「あれほどお止め下さいと言ったのに、お酒をお飲みになられるからですよ」

 小言の後、バサバサという大きな羽音と共に、外から黒い塊が部屋の中に飛び込んでくる。
 床へと降り立ったのは一羽の大鴉だった。ダニエラよりも一回り大きい。

「煩いのが帰ってきた」

 黒い大鴉―ヘルマンはヴォルフの言葉に大きく翼を広げ、声を荒げた。

「主!!」

「そう、叫ぶな。聞こえている」

「まったく、フラリと消えたかと思えば、酒に酔って帰ってくるとは……」

「仕方ないだろ、喉が渇いてしょうがないんだ」

 そう言ってぐったりとクッションにもたれかかる。

「主様、あなた様のお相手を申し出る淑女の方々がいらっしゃるのですが………」

「淑女?」
 ヘルマンの言葉にヴォルフは一笑した。

「あいつらのどこが淑女だよ。ただ、森の王者のつがいなんて名ばかりの存在になりたいだけだろ」

「そうでしょう……しかし、お世継ぎが必要なのも確かなのでは?」

 この森は、人狼は、王によって守られている。

「………世継ぎなんていらないだろ、そのうち産まれる。俺もそうだったからな、群れの長でもないただの人狼の子だ」

「より、力のある王を。そう望むのは、どの種族も同じかと」

 ヘルマンの言葉にヴォルフは目を細めると、ヘルマンの頭を軽く撫でた。

「ですえけど、あのお嬢様には困ったものですわ」

 珍しくダニエラが困ったように小さく息を吐いた。

「あのお嬢様?」

「フレデリカ、様だったでしょうか?伴侶だと言いふらしているんです。それに、アルトゥール様に暴言を吐きますのよ?」

「ああ、あの小娘か………へぇ」

 ふと、物音が聞こえ視線を戸口へと視線を向けると金糸の髪がチラついた。

ゲルトルード 2


「ごきげんよう」
 全身黒という喪服姿の老女は、耳に残る凛とした声で挨拶すると軽く会釈をして見せた。
 猫を思わせる吊りあがった目と秀でた額、昔は美人だったという面影が残るしわだらけの顔。きつく後ろで結ばれた髪は、彼女の鋭利な刃物を思わせる雰囲気にさせ近寄り難くしている気がする。
 老女は部屋を見渡し、ハルトと目が合うと少しだけ目を見開いた。それからゆっくりとハルトへ歩み寄ってくる。
 不思議と、ハルトは彼女に恐怖を覚えなかった。初めて会う人なのに、どこか懐かしさを感じる。
「ゲールハルトとエドゥアルトだね?」
 二人の前へとやってきた老女はゆっくりと膝を付くとハルトの顔を覗きこんでくる。
 ふわりとハルトの鼻腔をくすぐったのは、嗅ぎなれたハーブの匂いだった。
(母さんと同じ匂いがする……)
 今まで緊張していた体が弛緩していくのが分かった。
 ふと、老女がじっと自分のことを見ている事に気づき、ハルトは慌てて口を開いた。
「あ、あの、僕はゲールハルトです。こっちは、弟のエド…エドゥアルトです」
「です!!」
 慌てて名乗ったハルトをまねて、エドが元気よく続いた。
 老女は目元を和ませると、エドの頭を撫でハルトの頭を撫でると頬まで手を滑らせる。
「私の名はゲルトルード。お前たちの母親、アマーリエの母…お前たちにとって祖母になるね………」
 母方に祖母がいるとは聞いていたが、初めて会った。
「赤子の時に忠告したのだけど……ハルト、アマーリエから匂い袋を貰っていないのかい?」
「あ、母さんのお墓に……」
 お守りだから、持っていなさいといわれた母さんと同じやさしい香りがする匂い袋は棺の中へと入れた。
 寂しくないように、父さん一緒にいられるように。そう、願いをこめて。
「そうか……なら、これをお持ち」
 そう言って祖母と名乗った女性はハルトの首に柔らかな布の紐をかけてくる。その先には小さな匂い袋がついていた。
 恐る恐る手にとって鼻先に近づけると、ふわりと優しく甘い香りが鼻腔をくすぐった。
「今はこれしかない。後でちゃんとしたのをあげるよ」
 そう言って頭をなでると、ゲルトルードはゆっくりと立ち上がり言い争いをしていた隣の夫婦や父方の祖母たちを振り返る。
「この二人は、私が引き取ります」
「そ、そんないきなり現れて、何なんですか!?」
「今まで、遠縁になっていましたが。この子達のことに関してはもしもの場合は私に一任すると、弁護士に手紙を預けていたそうです。私の元にそれが届いたので、二人を引き取りにまいりました」
 鞄の中から取り出されたのは一枚の封筒、それを納得のいかない顔をしている三人に差し出す。
「この子たちは、私が育てます……それでは」
 ゲルトルードは二人を振りかえると、手を差し出した。
「さぁ、おばあちゃんの家に行きましょう。荷物は、また今度まとめに来ましょう」
 促されるまま、ハルトとエドはソファーから降り、差し出された手を取った。
 誰かが止める暇もなく、ゲルトルードは二人を連れて部屋を出た。
 振り返ると、父方の祖母も隣の家の夫婦もその瞳は正気に戻っていた。あの、不気味な怖さを感じなくなったことにハルトは首を傾げた。
(もしかして……この人が、来たから?)
部屋を出ると扉の前に男性がおり、ゲルトルードに軽く頭を下げると、入れ替わるように部屋の中へと入って行った。
 その男性の背中を見つめていると、頭上から声をかけられる。
「あの人が弁護士だよ。お前の父親の級友だと聞いている」
 そういえば、見たことがあるような気がする。
「早く、ここを出よう」
 どうしてこんなに早く歩いているのかわからなくて、ハルトは戸惑った。振り返ると、エドが頑張ってついてこようと走っている。
「あ、あの!」
 は、と立ち止まったゲルトルードは振り返ると申し訳なさそうに表情をゆがめた。
「すまない。早く歩きすぎたね。匂い袋を持っているとはいえ、お前にここは危険すぎる」
 そう言ってハルト頭をなでると、ゲルトルードは大きく息をついた。
「お、お祖母さん。これから、どこに行くんですか?」
「私の家は、《シュヴァルツヴァルト》の近くにある……あの森に入らなければ、お前は静かに暮らしていけるはずだよ」
「どうして、街が危険なんですか?」
 ハルトの問いにゲルトルードは目を細めた。
「街に暮らす人間は、危機感というものを無くしてしまっている。容易く狂わされ、自我を無くしてしまう。お前という存在は簡単に喰われてしまう。死にたくは、ないだろう?」
 その言葉に頷けば、ゲルトルードは鋭い表情を歪めた。
「お前の瞳は、美しい緑玉。なんと、哀れな運命だろうね……」
 道に膝を付いたゲルトルードはゆっくりとハルトの頬をなでると、やさしく抱きしめた。
「覚えておきなさい。お前の瞳は人も魔も惑わせる。お前は、他者と関わってはいけないんだ。お前という存在は、その場に居るだけで何もかも狂わせてしまう」
 その、緑玉の瞳がある限り。魔性の瞳がある限り、平穏な日々など過ごす事は出来ない。
 ゆっくりとハルトの髪をゲルトルードは撫でる。
「愛しい子。お前に、幸多からんことを…………」
 その額に口づけを受けながら、ハルトは思った。
 この人と入る限り大丈夫。この人の言うことを聞いていれば、自分は平穏な日々を送れる。
 そう、思った。

 ゲルトルードの家は、小さな村の奥。
 緑深き黒の森《シュヴァルツヴァルト》の傍にあった。

 このときから、ハルトの運命は大きく動き出していた。

ゲルトルード 1


シュヴァルツヴァルト番外編 ゲルトルード 1



 両親が死んだ。

 雨が降る中、街へと買い物に出て馬車に轢かれたのだ。
 弟と共に葬儀に出たことを、ハルトは薄ぼんやりと覚えていた。隣の家のおばさんに手を引かれ、きちんとお別れの挨拶もした。

 お別れ。
 両親は死んでしまったのだ。やっと学校に通い始めた弟と、自分を残して死んだのだ。
 あの日、すぐ帰ってくるね、と笑っていたのに………。

「ですから、ベンカーさんの家のお子さんはうちが引き取ります!!」

「まぁ、この子たちはうちの息子の子ですのよ?血縁者が引き取るのは当たり前でしょう?」

 顔を上げると、父の母だという初老の女性と隣の家の夫婦が言い争っていた。
 自分たちを誰が引き取るか話し合っている。

「にーさん」

 ハルトの腕にすがるように、弟のエドゥアルドが身を寄せてきた。
 話の内容はわからないのだろうが、ただならぬ雰囲気に怯えている。ハルトは大丈夫と言い聞かせるようにエドの手を握りしめた。

「二人ともこの街の学校に通っていますし、突然友だちと離されて誰も知らない土地に行くだなんて、可哀そうすぎます!!」

「この街にいる方が可哀そうでしょう!!」

 そう言って、初老の女性がソファーに腰かけているハルトとエドに近づいてくる。
 その顔を見てハルトは体中の毛が猫のように逆立った。

「おばあちゃんと一緒に暮さない?この街から少し遠いけれど、ここよりもとてもいい暮らしができるわよ?」

 笑っているのに、その笑みが怖い。
 まるで、何かに魅せられた様な恍惚とした顔でハルトを見てくる。

(怖い……)

「ね?おばあちゃんと一緒に行きましょう?」

 そう言って差しのべられた手に、ハルトは肩を大きく揺らし助けを求めるように上げた顔を再び凍りつかせた。
 隣の、いつも良くしてくれている夫婦までどこか虚ろな、けれど恍惚とした表情を浮かべている。

(怖い……誰か……)

「にーさん?」

 固まっているハルトを気遣うように、エドが顔を覗きこんでくる。
 大丈夫だなんて言葉、言えない。

(誰か………助けて……)

 ふと、部屋の扉が控えめにノックされる。誰かが声をかける前に、扉が開くと中へと入ってきたのは一人の老女だった。

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